イタリア旅行紀・・・1

2003年10月11日(土曜日)・晴れ

朝4時起きし はるか1号で関空へ

関空17時30分のボラーレ・イタリア 航空(VA7306チャーター便)で

まずミラノへ・・

私にとっては、新婚旅行依頼の海外なんです~♪  

 

 

 

 

こんなに沢山の機内食が・・結構おいしいんです。

 

 

 

約13時間後に「夜のミラノ」へ到着。

 

 

 

ホテル レオナルド・ダ・ビンチ

 

この旅行記は6年後(2009年)に書いていますが、忘れもしません・・ 

部屋を目指し 薄暗い廊下を歩いて行くと・・現地の修学旅行生達(?)が賑やかに走り回っています。 

(ここ確かイタリヤよねぇ〜〜?)(古びた暗い廊下は 昭和50年前後のスキーの宿を思い出します。) 

古びた部屋に荷物を置いていると・・ 

大きな声で 日本語が聞こえてきます・・ 「何これ〜〜。お風呂 壊れてる!!」 

部屋を飛び出して声の方へ行くと・・

なんと壊れたバスタブの中央にタイルが積み上げられ・・まさに工事中なんです・・信じられますかぁ〜〜!!。 

部屋の主「いやぁ〜〜ビックリ〜〜前代未聞の部屋やわぁ〜〜。」 

自室に戻りバスタブの確認そして「ホッ〜。」 

いやぁ〜ビックリのホテルでした。 

 

 

バスタブに長い紐がぶら下がっています「これなに〜〜?」 

「ひっぱったらあかんで〜〜非常ベルやぞぉ〜〜!!」「これがぁ〜〜?」 

「ボタンちゃぅよ〜紐やよぉ〜〜?」不思議で・・また聞いてしまいました。

主人の話ではヨーロッパでは入浴中の事故に備え「緊急用の紐」がぶら下がっているそうです。 

しかし、その後数回ヨーロッパを旅行していますが 未だ「あの紐」には一度も出合っていません・・不思議やわぁ〜。 

 

 

 

 

これは名画だそうです。

そして・・このホテルは、ダビンチの絵画を所有しているので「 レオナルド・ダ・ビンチ 」とつくとか〜。

 

 

 

 

翌朝・・ホテルの前を散策すると・・見たことのない実がなっています。キノコも発見・・。

 

 

 

 

 

スフォルツァ城 

ミラノのルネッサンス期最大の宮殿で、かつての領主、

ヴィスコンティ家の城跡にフランチェスコ・スフォルツァにより1450年に城塞都市として建てられ

18世紀にナポレオンがミラノを攻略するまではフランス軍、スペイン軍の激しい攻勢に耐えたという

堅牢ないかめしさがある軍事的な中世の建物 

 

 

 

 

 

 

スフォルツァ城裏手に広がるセンピオーネ公園 

 

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 ドゥオーモ  

 

「ドゥオーモ」は14世紀(1386年)にミラノ領主の命により建設が開始され、

大理石の外壁に屋根は林立する尖塔と聖人彫像で飾られた世界最大のゴシック様式の傑作といわれ、

着工から500年の歳月をかけて1887年にようやく完成したという

聖母マリアの誕生に捧げた大聖堂。

清掃工事中で一部がまだ隠れてはいる、周囲を歩いて見てまわると

その大きさ・高さと装飾に圧倒された。

この大聖堂は、幅93m、奥行き158mで、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂に次いで世界で2番目です

高さは一番高い金色のマリア像「マドンニーナ」の先端で108.5mあリ、とにかくスケールが大きい。

「ドゥオーモ」は、カテドラルをイタリア語で読み換えたもので、

司教が教区内にいる信徒を教え導き ミサ典礼をするための座席「司教座(カテドラ)」のある教会という意味

cathedral(英語)/catedral(スペイン語)/cathedrale(フランス語)と同じですが、

イタリア人はイタリア語で呼ぶ習慣を好み「ドゥオーモ」と呼ぶ 

 

 

 

 

 

 

「スカラ広場」、

 レオナルド・ダ・ヴィンチと台座周りに弟子達(4人)の銅像。

 

 

 

 

 

 

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガレリア 

ヴィットリオ・エマヌエレ2世ガレリアは1877年完成。

中央の十字路の壁面には4大陸を示すモザイク画が描かれていてる。

古代ローマ帝国崩壊後、イタリアは多くの自治都市(あるいは小国家)に分裂・諸外国により支配されていた。

1861年に統一イタリア王国が成立したが、その初代国王が、

かつてのサヴォイ公家出身のヴィットリオ・エマヌエーレ2世である。

ガレリアはドゥオーモとスカラ座へと繋がっている。

 

 

 

 

 

 

 

ドゥオーモ広場(ビットリオ・エマヌエーレ2世騎馬像) 

 

 

 

 

車窓より

 

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「ベローナ」 

ベローナはアディジェ川と城壁に囲まれた落ち着いた雰囲気のある街で、

古代ローマ時代から中世にかけて栄え、街のいたるところに遺跡が残っている古都です。

ゲーテ、ジョット、ダンテ、シェクスピアなどに愛され、旅行者のあこがれの地でもあったようで、

それらの人々の文化的足跡も残されているようです。

 

 

 

 

 

 

 

「ジュリエッタの家」

シェークスピアの「ロミオとジュリエット」は、

ベローナでの実話が元になったと言われ 

>悲恋の舞台のモデルとなったカプレーティ家の建物がジュリエットの家として公開されています

ジュリエッタの銅像が庭にあり、銅像の右胸が金色でピカピカなのは、

ジュリエッタの右胸を触るといいことがあるそう

みんな触っているからなんです

 

 

 

“カングランデ館”(13世紀の建物) 

シニョーリ広場を取り囲み、かつてヴェローナの政治の中心だった館。デッラ・スカラ家が居住し、現在は県庁舎となっている

 

 

 

「ランベルティの塔」 

 

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エルベ広場

古代ローマ時代の公共市場(フォロ・ロマーノ)の跡地に建てられた広場で、

市民が裁判や政治集会を行なった公共広場だった。

中央には14世紀に造られた「ヴェローナのマドンナ」と呼ばれる愛らしい噴水があり、

広場を取り囲む建物はいずれも中世からルネッサンス期にかけて建てられた豪壮な館や塔があります。

 

 

 

 

 

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アレーナ

古代ローマのコロシアムで 地元ではアレーナと呼ばれ、オペラが毎年開かれる。

(1913年に「アイーダ」が上演されてからの伝統です)。

約2万人が収容できる 紀元前1世紀の建物というから凄い。。 

 

 

車窓より  

 

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ホテル・パラディオ