スペイン旅行紀・・・2

(2008年8月9日(土曜日・晴れ)

8時45分ロビー集合し 本日はマドリード観光

プラド美術館・スペイン広場・・午後は自由観光なので国立ソフィア王妃芸術センターへ

 

 

バイキング形式の朝食・・ハム・ソーセージ・チーズは種類が多く・果物はメロン・スイカ・オレンジ・ブドウ・プラム

どれも甘くておいしい・パンはすこしかためかなぁ〜。オレンジジュースは絞りたてでとても美味しい。 

 

市の建物なんだけど何かわからない〜。時間かけて調べてみよう

 

 

プラド美術館(館内は撮影禁止) 

 

ベラスケス・エルグレコ・ゴヤの作品が並ぶのですが・・ネットから拝借し少し並べてみました。 

 

 

ディエゴ・ベラスケスは、セビーリャで生まれ、若い頃から、その画才を発揮し、フェリペ4世の元で、スペインの宮廷画家になった人である。

王室の絵などをけっこう描いています。その中で、一番有名なのが、この「ラス・メニーナス」。

思っていたよりも、すごく大きな絵です!迫力ある〜。

不思議な視点から描かれている絵で 、実は、左側にキャンバスがあるのですが、その後にいるおじさんが、ベラスケス本人ののです。

そして、中央にいるのが、フェリペ4世の娘のマルガリータ王女。その周りにいるのが、3人の女官達(ラス・メニーナス)

奥の鏡には、国王フェリペ4世と女王マリアーナが写っている。

この絵は鏡に映った国王夫婦の目線から描かれているそうです。 

「裸のマハ」(1797年) と 「着衣のマハ」(1798年)

ゴヤは、日頃は「裸のマハ」を掲げ、来客が来るとその上を「着衣のマハ」で覆い隠したとか、

モデルは誰かなど、この絵にまつわる伝説は多い。「マハ」とは「いい女」という意味らしい。

この絵のマハの首の角度はとても不自然で、あとから顔を書き換えたそうです。

だから 試してもこの角度はできないと 現地のガイドさんの話です。

 

 

ドメニコ・テオトコプーロスが本名でエル・グレコとは「ギリシャ人」という意味1577年にスペインに移住し

教会祭壇画を多く残す。この聖三位一体で脚光を浴びる。 

 

ゴヤの銅像

 

 

美術館横の教会・・・

 

 

騎士ドン・キホーテと従者サンチョ・パンサの銅像の後で二人を見下ろしているのは、

小説「ドン・キホーテ」の作者のセルバンテスの大理石像。記念碑の一番上から見下ろしているのは、

この物語を読む世界の人々。

ハプスブルグ朝の王宮は、1734年に焼失し、イタリアの建築家により1764年に再建された。

外観は簡素な後期バロックおよびネオクラシック様式 

 

フエリッペ4世の騎馬像

ハプスブルク家フェリペ4世の時代、スペインはドイツ三十年戦争に介入して国を疲弊させ、

オランダやポルトガルにも独立されてしまうなど、国の威信は著しく低下していました。

そして、フェリペ4世の王子カルロス2世は後継者を残さずに亡くなり、フランス・ブルボン家のフェリペ5世が王位を継承します。

 

 

 

・オリエンテ広場・

広場全体が左右対称のフランス式庭園になっていて、ロココ調の建物やオペラ劇場、エレガントなカフェなどに囲まれている

その雰囲気は、とても優雅でロマンティック。ここの空間だけちょっとパリ〜. 

 

 

 

 

昼食にマグロの大きなステーキが登場・・食文化の違い〜?。とても美味しいです.

 

 

 

凱旋門 

午後からの自由行動 タクシーを利用し少し散策

 

 

マドリッド・アトーチャ駅 

レンガ造りの曲線の美しい屋根の建物が見えたので言ってみましたらどうやら駅のようだ 

中に入ってみると〜〜えぇ〜〜温室〜〜?〜〜駅はどこに〜〜ホームは〜〜??。

ここはスペイン全国の鉄道網の中心となるマドリード初の鉄道駅

ネットで検索しますと。1889年、アルベルト・デル・パラシオの設計。曲線の美しい屋根、鉄とガラスで建設された中心部の大きな建物は、

線路やプラットホームを覆うため片端を閉じ,ラファエル・モネオの独創的な設計案に従って行われた拡張工事では、

かつての駅を尊重しつつ、駅構内が一般に開かれた1つの大きな温室と熱帯庭園に作り変えられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

国立ソフィア王妃芸術センター 

「ゲルニカ」 

 

 

現地のガイドさんに説明では

スペイン内戦の最中の1937年4月26日、スペインの小都市・ゲルニカがフランコ将軍を支援するナチスによって空爆を受けた。

史上初めての都市無差別空爆で、滞在中のパリで報を聞いたピカソは、かねて政府より制作を依頼をうけていたので、

パリ万国博覧会スペイン館の壁画として急遽ゲルニカを主題にこの作品に取り組み、6月4日には完成させる。

スペイン内戦終結後、この絵はロンドンなどを巡回したのちにヨーロッパの戦火を避け1939年、米国に渡りニューヨーク近代美術館に預けられる。

第二次世界大戦後もフランコ将軍の政権下にあったスペイン政府はこの絵の返還を求めるが、

スペインに自由が戻るまでこの絵を戻すことはないとピカソは拒否。ピカソ没後、

政体の代わったスペインとニューヨーク近代美術館との間にこの絵の返還交渉が再び始まり、

1981年になってようやくスペインに返還される。

作品は縦3.5m、横7.8mの大作。キャンバスに工業用絵具ペンキによって描かれた。

これが後に絵画としての痛みの要因となる。

大作にしては短時間(1ヶ月弱)で描ききれた(油彩よりも乾きが早く、作業効率も高い上にコストも安上がり)

当時の絵画としては珍しくモノクロームで描かれている。あえて血の色を見せなかったことが格別の効果を与えている。

死んだ子を抱き泣き叫ぶ母親、天に救いを求める人、狂ったようにいななく馬などが戦争の悲惨さを訴えている。

(話に聞くピカソの大作、説明を受けながら目の前にして観ると 白と黒の力強い何かが迫ってくる感じがし逃げ出したくなりました。)

 

「MESON・TXISTL」(メソン・チスト) 

スペインの著名人が訪れる人気レストランで「ハモン・イベリコハム」とパスク地方料理を 

 

 

 

あれぇ〜日本家屋のようなお店(夏の日の入りは21時半頃・・もともとスペインの夕食は21〜22時頃)

 

 

 

 

 

ぶら下がってるのはもちろんスペイン名物イベリコハム 

生ハムの最高級品といわれ、どんぐりの実で育てた豚で 霜降り具合は絶品。口の中で油が程よく溶けます 

 

 

 

壁にはインテリアのように著名人の来店記念の写真が沢山並びます。 

 

 

 

 

 

トム・クルーズ夫妻とべッカム夫妻のがありました。(私たちの記念写真はもちろんご自分で・・・)