スペイン旅行紀・・・3

(2008年8月10日(日曜日・晴れ)

8時45分ロビー集合し 本日はアビラは城壁に包まれた中世の町はサンタ・テレサの故郷

セコビアでローマ時代の水道橋とディズニー映画「白雪姫」の城のモデルになった13世紀のお城

昼食にはセコビア名物「子豚の丸焼き」お皿で子豚を切るとか〜?。

夕刻は闘牛観戦〜♪

 

車窓より

 

この温泉マークが目につくので尋ねてみると地元の銀行だった。 

 

 

山並に突然現れた大きな十字架は王の墓 

 

 

アビラ

 

海抜1,117mの高さにあり、スペインの県都でもっとも標高が高い。

荒れ野の中に唐突にそびえている岩山の平らな頂上に建てられている。

岩山は茶色で乾燥した禿山で、大きな灰色の丸石がころがり、急峻な山地に囲まれている。

このため気候は極端で、冬は厳しく長く、夏は短い 

 

 

 

 

アルカサール門

 

バルセロナオリンピックのスペイン村の入場門のモデルなる。 

 

 

アビラは「アビラ旧市街と市壁外の教会群」として、1985年に世界遺産に登録されている。

城壁は、1090〜1099年にかけてアルフォンソ6世の娘婿、ライムンド伯爵が

イスラム教徒の攻撃に備えてローマ時代の砦を利用して築いたもので、

周囲2,500m、幅3m、平均の高さは12mの中世の城壁で完璧な姿で町全体を取り囲んでいる。

市壁は茶色い花崗岩で作られており、88の塔と9つの門がある。

 

 

 

 

 

サンタ・テレサ修道院

聖女サンタ・テレサ

16世紀の女性で、当時「腐敗」していたカトリック教会の内部からの宗教改革を目指し

氷点下10度にもなる厳冬の間も裸足でいるような 厳しい修道生活を柱とした 裸足のカルメル会を発足させた人物。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カテドラル

アルカーサル門の隣に荘厳な姿で立っている。

 

12〜15世紀に建設されたロマネスク・ゴシック様式の寺院で砦の役割も担っていた。

外観はシンプルで飾り気がないが、内部は華やかな装飾で満たされている。

ゴシック様式の柱や天井 プラテレクス調の彫刻の素晴らしい聖歌隊席には目を見張る。

 

 

 

 

 

 

 

 

セゴビア 

海抜1000Mの高台にありエルスマ川とクラモーレス川に挟まれ

古代ローマ時代から発展し今も中世の面影を残す城塞都市

 

 

 

 

 

 

1世紀後半から2世紀にかけて作られたローマ時代の水道橋は 

全長728m アソゲッホ広場を横断する最も高いところで29mある。

水道橋はグアダラマ山系から切り出された花崗岩をセメントや漆喰などの接合剤をつかわず、

巧みに組み合わされて作られている。セコビアから17KMhなれたフリオ川の流れから水を市民に

1〜2世紀ころから近年まで使われていた。

 4〜5年前にNHKが水を流し 今も使えるか試すと水が漏れることなく流れ

 2000年前のローマ人の土木技術の素晴らしさに驚愕した。

 

 

 

 

 

 

 

昼食 

ここカスティーリア地方は寒暖の差が激しい乾燥した気候風土のため 

塩味が利いた素朴で力強い料理が中心。肉や豆類を使った煮込みりょうり・豪快な窯焼き料理が味わい深く 

巨大な窯でじっくり焼き上げられた 生後3〜4週間の子豚の丸焼きは 

パリパリの皮とジューシーな肉の触感は今も忘れられない 

 

 

 

 

 

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カテドラル 

優雅にたたずむゴシック様式の大聖堂は 

スペインでは最も新しく、16世紀に建造された 

まるでドレスの裾を広げたような優雅な姿から「大聖堂の貴婦人」と呼ばれる。  

 

 

 

サン・エステバン教会 

スペインの鐘楼の中でも「女王様」とよばれロマネスク様式で13世紀にたてられた。

 

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アルカーサル

 

 

 ディズニーが白雪姫のお城のモデルにしたというアルカサール(セゴビア城)。

エレスマ川とクラモレス川が合流する地点の岩山の頂に聳えています。

現在のアルカサールの大部分は1410〜1455年にできたもの。1862年に大火災に遭いかなり焼失し、

後に修復されてかつての美しい姿が甦りました。歴代のカスティーリャ王の居城としてだけでなく

スペイン議会の前進であるコルテス(身分制議会)の舞台としても歴史に名を残しています。

そして、1474年12月13日に女王イサベルが即位したのもこの城。16〜18世紀にかけて一部が監獄として使われましたが、

白雪姫の城のモデルとなったためか 現在では古城ウェディングの場所として人気を集めている。

 

 

 

 

これは子どもの甲冑だが、中世の平均身長は165cmとは意外だった。

 

 

 

 

船底をイメージした天井。 

 

 

 

 

 

 

 

 

闘牛

ガイドさんの説明によると ・・スペイン人にとって闘牛士は特別の存在で、男たちの尊敬の的であり、

女たちの憧れの対象であり、アイドルであり、子供たちの希望の星でありアイドル以上のもの、それが闘牛士。 

スペイン人の心の中に用意された、この特別席にたどり着くために闘牛士は命を張っている。 

レコンキスタ(国土回復運動)の時期を中心とする中世のスペインでは、騎乗の貴族たち、あるいは騎士たちと牛との戦いが中心だった。

ところが、スペインのハプスブルク家が断絶したことから起こったスペイン継承戦争(西暦1701年から1713年)の結果

フランスのブルボン家がスペイン王位を継承してから、スペインの闘牛が変質し始め 

フランスからやって来たスペイン王フェリペ5世は、闘牛が好きじゃなかった。その結果スペインの貴族たちは闘牛から遠ざかって行った。

他方でスペインの血とも言える闘牛を受け継いでいったのは、スペインの庶民たちだった。

そして、闘牛において牛を倒す役割は、騎乗ではなく徒歩で戦う庶民階級出身の闘牛士となっていった。

 

 

 

 

音楽隊のラッパの音と共に、闘牛が始まる!!

入場行進 

 

 

 

 

 

 

 

大きなプラカードを持った男性が、闘牛場の真中に現れ

数字が「553」と書かれてました。プラカードには、これから出てくる牛の体重で・出身牧場・名前が記されている。

 

 

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音楽隊のファンファーレが鳴り響き、

牛が登場します。

その牛真っ黒で、たくましい体のまさに戦うためだけに育てられた牛 

 

 

いよいよマタドールの登場!

ピンクのカポーテを持って、最初に披露される闘牛技は、 

カポーテの襟を両手で持って牛をかわすベロニカと言う名前の技らしいです。 

このベロニカの技は、イエス・キリストが十字架を背負って、 

処刑の場のゴルゴダの丘に向かったとき、聖女ベロニカがキリストの顔を拭ったその場面から名づけられているらしいですよ。

 

 

 

 

 

 

槍方のピカドールが出てきます。

全身鎧で固められた馬の上に槍を構えた人が2人登場。 

ピカドールは、牛の首スジを数回、自分の持っている槍で攻撃します。これによって、人間より強く、スピードのある牛を弱らせる。

馬が一番大変です…。全身鎧で固められ、恐怖防止のために目隠しもされている。

そんな中、いきなり牛が突進してくるので、中には、下から思いっきり突き上げられる場面も・・

(これがスペイン継承戦争後のブルボン王家とスペインの闘牛のスタイルです) 

 

 

 

 

銛方のバンデリジェロの登場。

バンデリージャ(飾りの付いた銛)を牛の背中に突き刺すのです。

3人のバンデリジェロが、右回りと左回り、交互に回り込みながら2本ずつ銛を牛の背中に打ち込みます。

この人達は、カポーテのようなヒラヒラするものを持っておらず、牛に向けて真っ直ぐ向かっていく。

一つ間違えれば、牛と激突する事になりかなり危険。銛を両手に高く構え、突進してくる牛に刺す

 

 

 

 

 

闘牛士の作戦会議です。 

 

 

音楽と共に、また闘牛士の登場。ここからが見せ場!今までの一連の作業で、

ようやく人は牛と対等に戦う事が出来るわけです。闘牛士は、ムレータと言う赤い布を持って登場です。

 

 

 

 

 

牛はモノクロでしか見えず、実は赤い色に反応し突進して行くのではなく、ヒラヒラしている物に反応するのです!

 

 

牛が闘牛士のスレスレの所を通っていくわけです。

これには、さすがに感嘆でした。

見事に交わせば、観客から「オーレ!」の掛け声があがる 

 

 

ムレータの妙技を見せた後は、牛にとどめをさします!

これが、闘牛の一番の見所です!闘牛士が真剣を構え、牛と相対する。

この真剣を1回で首筋に刺し込み、苦しむこと無く牛を倒すのが、

一番演技としては美しいといわれます 

 

 

 

 

牛が倒れると、最後は、ラバに引きずられて闘牛場を後にする。

このラバには、鈴がつけられていて、引っ張られていく時に、「シャンシャンシャン…」と鳴り響くのが、ちょっと寂しいです。 

倒れた牛は10日後に肉となるそうです

この後の夕飯は、フリーでしたが とても肉はむりなので軽くすませました。