スペイン旅行紀5・・・
2008年8月12日(火曜日・晴れ)
9時45分ロビー集合し 本日は〜。
グラナダ・・今回のツアーの目玉でもある。アルハンブラ宮殿
午後はコルバへ向け170kの移動。
グラナダ
アンダルシア地方に位置するグラナダは、シエラネバダ山脈の麓にあり、
800年もの栄華を誇った イスラム教国の異国情緒あるれる文化が 今も色濃く残っている。
数々の伝説を生んだアルハンブラ宮殿で有名な町である。
グラナダは、アラビア語で「ザクロの実」を意味し
ローマ帝国時代、丘の上に砦を築き、城塞都市として誕生した。
アルハンブラ宮殿
イスラム教徒の本拠地だったコルドバとセビリヤがキリスト教徒の手に奪回され、
キリスト教徒の国土回復戦争(レコンキスタ)が完了しつつある1238年に、
イスラム教徒のグラナダ王国が建国された。その王宮がアルハンブラ宮殿である。
1492年、もはやレコンキスタの勢いに抗しきれないと判断した最後の王ボアブディルは、
カトリック女王イサベルに城を明渡し、北アフリカに逃れた。
アルハンブラとは、アラビア語の「アル・ハムラー(赤いもの)」から来る言葉で、
「赤い城」という意味。宮殿の壁が赤い漆喰で塗られていたことからそう呼ばれるようになったという。
アルハンブラ宮殿の略図の
開園前より長蛇の列ができていて個人の待ち時間は最低でも3時間待ちだとかぁ・・。
旅行社が団体予約をガイドさんに頼んでいたので 1時間待ちではいる。
この日の最高気温は40度にまであがる、
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ヘネラリフェ庭園
城外の丘にある13世紀に建てられたスペイン・イスラム庭園の代表作
宮殿の東に少し離れて建つ夏の離宮 「ヘネラリーフェ」
王が政務から逃れて息抜きをしたり、王室の私的な楽しみのために1319年に造られた。その中にある「アセキアの中庭」は、
はるか、シエラネバダ山脈から引いてきた雪解け水の噴水の(全長50m)しぶきが涼しげです。
アーチを多用した回廊と一面の花とがよく調和して、見応えがある。
中央バルコニーより望むアルハンブラ宮殿
階段の手すりの部分には 水を送る水路を設けている
路面中央に雨水が集まり 流がれるようになっている。
堀から見るアルカサバの塔
アルカバサはアルハンブラで最も古い部分で
ローマ時代の砦の跡に、モーロ人が9世紀に築いたものです。
キリスト教国の攻撃から都を守るためにアラブ世界の軍事技術を集結した
難攻不落の要塞で今は跡地と、塔が一つ残っているだけです。
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カルロス5世宮殿
王宮の南にあるのがカルロス5世宮殿。1492年のレコンキスタ終焉(グラナダ奪還)から30年後、
キリスト教国スペインの黄金時代に国王カルロス5世が建てたルネサンス様式の建物で、
アルハンブラ宮殿最大の建物である。
コルドバにカテドラル(大聖堂)を増築したカルロス5世が、
アルハンブラ宮殿に宿泊した際、
イスラム建築に対抗した新しい宮殿を建てたいと希望して建設されたという。
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メスアール(政庁)の間
王宮で最初に建てられた部分で、罪人たちはここで取り調べられ裁きを受けた。
イスラムの刑罰はとても苛酷で、
当時グラナダの町で盗みを働いたものには右手や両耳切りの刑が言い渡されたという。
星空のようなコマレスの塔の天井。
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アラヤネスの中庭とコマレスの塔
水と建物の調和が美しく
青い水にコマレスの塔とイスラム様式の回廊が浮かび上がります。
長方形の池がある中庭で、大理石柱とアーチの回廊に囲まれている。
アラヤネスとは池の両側に植えられている天人花のこと。
池の両側の建物には4つの部屋があり、王の4人の正室の部屋になっている。
アラヤネスの中庭から高さ45mのコマレスの塔 が見える。
大使の間
王宮で一番広い『大使の間』。一番広いとは言っても11m四方
だがこの大使の間は、イスラム教国最後の王ボアブディルがグラナダの明け渡しを決定し
宮殿の鍵を渡した有名な部屋で、スペインの歴史上とても重要な部屋。
その名のとおり、各国使節が王と謁見を行ったりした公式行事の場所でもあり、
コロンブスがイサベル女王に謁見を行ったのもこの大使の間である。
天井は8つの天と神の星を表す八角形を中心に105の星がある寄木細工、
壁にはカラフルなモザイクタイル貼りが施され、
その上は漆喰細工で装飾されたアラビア文字、コーランの詩句、
王たちへの賛歌、草花模様、幾何学模様が刻まれた(総じて『アラベスク』称されている)壮麗な部屋。
イスラムの教理では偶像崇拝が厳禁とされているため、アラベスクには人物や動物は一切モチーフに使われていません
ライオンの中庭
工事中につきライオンはいませんでした。
14世紀に完成した「ライオンのパティオ」は宮殿の中で最も有名な中庭で、
124本の大理石の細い列柱が立ちならぶ回廊に囲まれている。
中庭には12頭のライオンが雪花石膏 の水盤を支え、シエラネバダの嶺から流れ来る清水が噴水となって湧き出る。
ここは王の寵愛を受けていた女性たちのハーレムで、大理石柱の装飾はアラビア建築の最高峰といわれる。
「ライオンのパティオ」の周囲には「諸王の間」「二姉妹の間」「アベンセラへスの間」などが配置されている。
アベンセラヘスの間
8,017個の寄木細工を使った天井が素晴らしい「アベンセラへスの間」。
この部屋で、権勢を誇ったアベンセラへス家の騎士36人が、
対抗勢力の讒言(ざんげん)に騙された王の命で全員首を切られたという。
アベンセラヘスの間のモカラベは石膏でできたムカルナスといわれる
9種の形の部品を組み合わせて作られていて、その部品の総数はなんと8000個にもなる
「二姉妹の間」
リンダラハのバルコニー
二姉妹の間の八角天井
モカラベは、7種のムカルナスを5000個組み合わせて作られています。
「モカラベ」とは天井を覆う無数の鍾乳石状の繊細な装飾のこと。
アベンセラヘスの間より3000個も少ないようには見えないのは、その細密さゆえでしょうか。
リンダラハの中庭
囚われの身の二姉妹ソライダとリンダラハが、
リンダラハの出窓からこの中庭を見下ろしたという伝説から、
この名で呼ばれ 中央の小さな噴水を中心に、
幾何学模様に整えられたこじんまりとした庭。
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宮殿から望むアルバイシンの丘
キリスト教徒がグラナダをイスラム教徒から奪回するとき、ジプシーを隠密として使ったので、
恩賞としてここに住むことを許した。現在でも洞窟に住むジプシーもいて一種の治外法権的な雰囲気がある。
中庭にあった丸屋根の天窓
アメリカ人作家ワシントン・アービング
1829年に3ヶ月間アルハンブラ宮殿に滞在した経験と、そこにまつわる歴史・伝説を綴ったのが
紀行文学の名作「アルハンブラ物語」。
この本がアルハンブラ宮殿を世界に知らしめた功績は極めて大きい。彼が滞在した部屋は今も残されている。
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向こうの山々まで 延々と続くこの木々はオリーブ
こんな景色が バスでの移動中 都心を抜ければどこででも見られる。
スペインのオリーブ栽培のスケールには度肝を抜かれた、広大な乾燥地を利用し崖の端にまで
オリーブは植えられている。
収穫方法は 木の足もとにシートを敷き詰め クレーン車で木をゆする。
このとてつもなく広がるオリーブ畑では いくらクレーンを使っても気が遠くなる〜〜。
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コルドバ
711年、イスラム教徒に征服された。756年に成立した後ウマイヤ朝はコルドバを首都とし、
その中心はモスク(メスキータ)であった。10世紀にアブド・アッラフマーン3世とハカム2世の治世下で繁栄をとげ
大図書館が建てられ 多くの学者が活躍し 10世紀には世界最大の人口を持つ都市となった。
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HOTEL CONQUISTADOR (ホテルコンキスタドール)
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