スペイン旅行紀 6・・・

2008年8月13日(水曜日・晴れ)

8時15分ロビー集合し 本日は〜。

コルドバ観光の中心はメスキータ 

その後140k移動しセビリアのカテドラルなどを見学し、

夜はフラメコショウ

 

メスキータとはモスク=回教寺院のこと。

コルドバは紀元前2世紀頃にはローマの支配下で繁栄していた古都である。

8世紀の初めに北アフリカからイスラムの進入をうけ、

13世紀にキリスト教の再征服をうけるまで、イスラム文化の支配下にあった  

コルドバのメスキータはその規模で世界最大の

サウジアラビア・メッカのカーバ寺院に次ぐ

8世紀に カリフ(イスラム教主)アブデラマン1世が建築に着手し、

モハメッド1世、アルハケム2世らによって増築、改築された

1236年にレコンキスタで、キリスト教に戻ると、国王カール5世が

キリスト教の聖堂へ改築した。

このために、メスキータの屋根にはキリスト教の大聖堂の屋根が突き出してしまった。

ただ国王は改築後 「もし、前もってメスキータのことを知っていたなら、

決して許可を与えなかっただろう。どこにでもある建物の為に、

世界にひとつしかない建物を壊してしまった」と嘆いた。

 

アルミナル塔(ミナレット)。

モスクのミナレット(尖塔)として建てられた塔は、

キリスト教徒により鐘がつけられ、鐘楼にされた

オレンジの木が並ぶオレンジの中庭。  

カラオーラの塔

イスラム時代の要塞

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

「ファサード」 

これらはもともとモスクの出入り口だったのですが、カトリック教徒による改造で全てふさがれてしまいました。

現在は「シュロの門」のみが開いています

「中庭(パティオ)」

オレンジの足元には用水路が。

「モスク内部」

ひんやりとした内部は、白い石と赤レンガを交互に組み合わせた2段アーチ、そして850本もの柱が広がる  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メッカの方向を示すミーラブの天井 

天井は一枚岩で貝の形になっている

マヨール礼拝堂。 

キリスト教徒により増築された部分

聖体顕示台(16世紀)

礼拝堂の壁 

 

 

 

マヨール礼拝堂

メスキータの中にあるキリスト教礼拝堂 

 

 

カテドラル・礼拝堂 

レコンキスタ完了後カテドラルとなった中央部分は、屋根が取払われ、

 ロマネスク様式のドーム天井に改造されました。

 バロック式の聖歌隊席と説教壇は重厚です 

ガイドのレオナルドさん・・とても綺麗な日本語でも日本に来たことがないと聞きビックリ。 

 

 

 

サンタクルス地区にある「LAUREL」にてタパスランチ

 

絶品のトルテイージャ

スペインオムレツ

ボールに卵と炒めたジャガイモ玉ねぎをフォークでかき混ぜて焼くだけなんだけど・・

これがとても美味しい・・帰国後京都嵐山のスペイン料理店でも9月に食べたが

 やっぱりとても美味しい〜♪。家でも挑戦してみようとは思うが美味しくできるかなぁ〜??

 

 

 

 

 

 

 

ヒラルダの塔(元モスクのミナレット) 

 階段ではなくスロープを上っていく

これは、馬に乗ったまま登れるように工夫されている。 

 カテドラル 

もとはイスラム寺院

 ヨーロッパで3番目の大きさを誇るカトリック教会

1401年に市議会が「後世の人が狂気の沙汰というほど大きい寺院を造ろう」と 

宣言し改造された 

 

カテドラルの屋根

 

>

白い壁に赤い屋根は セビリヤの町並み

 

 

 

  

  

 

 

 

コロンブスの墓 

コロンブスの棺は 4人の王(レオン・カスティーリア・ナバラ・アラゴン)にかつがられている

 

 

 

 

 

黄金の塔 

グアダルキビール川沿い城壁の見張り塔 

13世紀にイスラム教徒の手で作られた塔で  

かっては金色のタイルで覆われていた 

スペイン広場 

 

1929年に開かれたイベロ・アメリカ博覧会の会場  

赤煉瓦の巨大な建物 

SEBILLA CENTER HOTEL (セビリア・センター・ホテル) 

 

 

 

 

   

   

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フラメンコショウ 

フラメンコは明るく・激しく・そして悲しく・淋しい。  

踊り手が体のすべてを使って、人間のありとあらゆる感情を表現する 

無上の喜び、笑い、愛情、悲しみ、いかり、希望、絶望、優しさ、淋しさ・・

そんな全てが刻々と変化する目指しや口元や、やわらかな指先や  

激しく踏みならすヒールで表現される。  

 

 

 

 

 

フラメンコは、遠くインドに起源を発するヒターノ(スペインジプシー)と共に

アラビア、エジプトやモロッコを旅して15世紀に南スペインのアンダルシアに流れ着いた。  

アラブ、ユダヤの土の香りと、流浪の民の喜びや悲しみ、アンダルシアの激しい気候と  

音楽がミックスされてフラメンコが生まれた。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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