大連旅行紀・・・3
(2015年10月17〜18日(土・日曜)(晴れ)
結婚式の後、凌さんが2013に完成した港湾区にある
大連が誇る大連国際会議センターへ案内してくださった。
外見は亀を連想してしまうのですが・・、
貝殻がモチーフとか…私には理解できませんが・・。
海沿いに、商業ビルやヨットハーバー付きの高級マンションが並び、
ゴミ一つ落ちていない、美しいところで、
結婚アルバムの撮影地でもあり、写真撮影が行われていた。
「海昌東方水城」と書かれた地域には
ヨーロッパのいろいろな国の建物が並ぶ 不思議なところで
どうやら、高級マンションの不動産会社の建物のようだ・・
・
・
・
夜は、雲南省の郷土料理のお店へ
夜になるとイルミネーションがとても美しいお店
夜は、雲南省の郷土料理のお店へ
挙式を終えた、お疲れの李梅花さんも到着し、
李偉さん・金さん・凌さんとの食事の場を作ってくださった。
牛肉・羊・グチ・ちじみ・編傘茸・キノコ類・まったけ・白菜等を
それぞれの鍋でしゃぶしゃぶ風に出汁で煮込み
ゴマだれに好みの薬味を入れて食べる・・
・
・
・
・
大連旅行紀2015・・・
(2015年10月18日(日曜)晴れ)
凌さんが、旅順へ案内してくださる。
「横山寺」
漢時代に開山した修行寺で、明清代に興隆を極めましたものの焼失してしまい、
「古寺を復興させよう」と2004年秋に再興されました。旅順南路の龍王塘北東の山中に位置し、
敷地面積は約2万u。この中に4つの主殿、8つの副殿、回廊などがあり、
建物面積は1万2000uにも及び、大連では少ない仏教寺院とのこと。
日本のお寺より階段の高さは低いので、登りやすい・・。
まだ11年ほどしか経っていないのに、階段に凄い隙間が出ている・・
黄金に輝く小さな観音様が沢山並んでいる・・・
個人が買い求められたものもあり、名前書きされている。
願い事を記された御札が沢山ぶら下がっている。
奇麗な組み紐がついていい感じ・・
お正月には、参拝者が沢山だとか・・。
御利益のありそうなお餅が売られています。
でもあまり売れないのか・・並んでいる人はいません。
カラフルなのは明王かなぁ〜?・・。
馬や船はお祭りに使われるのか・・・・?。
愛くるしい御顔は、布袋様・・・?
上品なお顔で冠を冠っているのは大日如来様・・・?
横の壁には名前が書かれた紙が貼ってありました。
日本で言うなら「塔婆」かなぁ・・・・?。
・
・
・
旅順要塞(りょじゅんようさい)
遼東半島先端部の旅順にあった要塞。
旅順は軍港として清帝国、ロシア帝国、大日本帝国、中華人民共和国に利用され、
その軍港を防衛するための拠点。
検索しますと。
ロシア軍要塞の東鶏冠山北堡塁跡地
帝政ロシアが日本軍の防御の為に建設した堡塁であり、日露戦争の激戦地で,
1898年帝政ロシアが旅順を租借し、1900年、旅順の東側の半永久的な防御線として
堡塁を中国人労働者を使役して建設した。天然の岩にコンクリートと石、
そして泥土で覆って造られた。内部の構造は複雑で、司令部、兵舎、弾薬庫、治療室、台所などの周りに
胸墻、側防窖室が配置され、堡塁は不規則な5角形をして、周囲496m、面積9900平方m
堡塁の周囲は堀があり、堀の外の斜面には高圧電流が流れる鉄条網を架設した。
日露戦争第1回旅順総攻撃(1904年8月21日)、日本軍第11師団による堡塁の攻略が始った。
第11師団は鉄条網を突破することに成功したが、内堀に入ったが土砂に覆われた側防窖室からの近接攻撃により、
日本軍は大損害を受けた。その後、数度に渡り坑道を掘り、堡塁の爆破を試みた。
12月15日、日本軍の発射した28センチ榴弾砲弾が命中した際、
ロシアの司令官コンドラチェンコ少将が戦死。
そして、12月18日、堡塁の正面で2.3tのダイナマイトを爆破させ、
これに乗じて日本軍が堡塁を占領した。この戦闘で日本軍はこの堡塁を突破する為、約8,000人の死者を出した。
・
・
・
・
夜の大連駅周辺の店
豚肉が切り売りされています。
大きな肉塊が売れました。どんな料理をするのかなぁ〜?
夜のお店は、昼間とは違った感じがし、とても興味深いです。
・
・
・
・
大連旅行記2015-04へ続く・・・・・
・
・