フランス旅行紀・・・4

(2004年8月4日(水曜))

ニースからバスでアルルまで250キロ(3時間)の移動

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アルルに到着後すぐ昼食  ムール貝登場 

 

 

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フォーラム広場はゴッホよく通った場所で 当時のまま復元されている「夜のカフェテラス」のカフェも絵そのまま

5年後に旅行記を書いているが ハードディスクを倒し壊れ 画像がほとんど無くしました・・ 

先日ハードデスクからデーターを取り出せると聞きメーカーに問い合わせ、業者を紹介してもらい電話をしましたところ、 

外的障害による場合もデータはほぼ取り出せるが、費用は15〜55万かかるとのこと

やっと諦めがつきました、ハードディスクは倒したらえらいことです・・

 

 

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アルルの町並み 

 

 

左奥に見えるのはローヌ川です。 

 

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円形闘技場 

アルルの町の中央にありローマ時代に建てられた。

アルルにはローマ時代の遺跡がいくつかあって、それらが世界文化遺産に指定されています。

 

 

 

 

 

ローマのコロッセオと同じように、建物に時代の重さを感じます。 

 

 

 

古代劇場 

何かイベントがあるようでステージの準備中

 

 

 

 

 

 

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南フランス、サン=レミにあるゴッホの入っていた精神病院。

ゴッホの絵にある水場や糸杉がそのままありました。

私には普通の庭の風景が、天才の目を通すとこんな風に見えるんだと感慨深い思いがしまいた。 

 

 

 

 

 

 

 

アルル ゴッホの跳ね橋 

1888年当時、35歳だったゴッホは南フランスの太陽に憧れて

アルルに住み始めたといいまこの橋は そのゴッホの「跳ね橋」のモデルとなった橋です

日本では目にしない 古びた橋ですが、

ゴッホが描いた跳ね橋は戦争によって破壊されてしまい、この橋は、絵を忠実に再現したものだそうです。 

 

 

 

 

 

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「サン=トロフィーム教会」 

ロマネスク様式の教会堂。美しい彫刻が刻まれた柱の並ぶ回廊も高く評価されていて、

「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」の一つとして世界遺産に登録されている。 

正面入り口の中央上部には、「最後の審判」の場面が彫刻されています。 

 

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教会の中庭と回廊 

 

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車窓より・・どこまでも続くひまわり畑 これもみたかったんです〜♪  

 

 

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ドーデの風車

 アルルの北東約10kmのところに、フォンヴィエイユという村があり、村の近くの小高い丘の上に、一つの風車小屋があります。

 これは、作家「ドーデ」が1866年ごろ執筆した「風車小屋だより」に登場する「ドーデの風車」だそうです。

 この風車は、「ミストラル」(ローヌ川流域に吹く強い風)を利用して粉を挽いたようです。

 ドーデは、作品「風車小屋だより」の中で、蒸気機関の製粉工場が進出してきた村で、一人頑固に風車を廻し続ける老人を描いているとのことです。

 

 

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レ・ボー・ド・プロヴァンス 城跡都市

 同じ石畳でもエズなどの薄茶系とは違い、こちらはグレーの岩。

 ミストラルにさらされ、周辺の岩々も風化して独特の雰囲気を醸し出していた 

 

 

 

 

レボーの美しい村が見えます。 

 

 

 

 

ポプリが素敵なセンスのあるお土産さんが沢山あります。 

 

 

 

プロバンスでだけ蝉がないていました。お土産店でもセミの飾りがならんでいて、

セミの飾り物の前を、人が通るとミ〜ンミ〜ンと鳴くのです。お土産にかうべきだったなぁ〜。

 

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ポンデュガール 

古代ローマ遺跡が多く残るプロバンス地方のなかでも とくにローマ帝国の偉大さを実感できる 

2000年以上も前のローマ時代に建造された美しくも巨大なアーチ型水道橋で,

橋の構造は3層になっているが、アーチは上に行くほど小さくなっており、美しく見せる配慮がなされている。

以前は橋の上を渡ることができたそうですが、危険度が高いため現在は通行禁止になっていて、今は最下層だけが道路として使用されている 

ポンデュガールは、ニームとアビニヨンのちょうど中間あたり、ガルトン川に架かっている。

高さ49メートル、長さ275メートルのこの橋が紀元前19年ごろに築かれたというのだから驚きだ。

建設当時は橋の最上部の水路を利用して、ユゼスの泉とニームの間の約20キロメートル以上もの距離を

毎日およそ2万立方メートル送水していたといわれ、古代ローマ人たちの技術水準の高さを物語っている。

 

 

 

ポン・デュ・ガールは水供給のためのほんの一部の施設に過ぎず、

導水溝は延々と50kmも続いているのである。

水源地とニームの市街地の高低差は僅か17mしか無いそうであるから、

1kmあたり34cm(10mあたり3.4mm)という微小な勾配で水を流すという高度の技術が必要であった。

これを可能にしたのが、優れた測量技術であり、現代にも劣らない測量技術が完成されていた。

 

 

 

 

 

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ホテル  メルキュール・スッド