フランス旅行紀・・・6

(2004年8月6日(金曜)24度 晴れ)

ロワール渓谷に点在する古城そしてモン・サン・ミッシェルへ

 

 

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ロワール地方はパリの南西に位置する自然に恵まれ、フランス人から「フランスの庭」と呼ばれている。 

中世にはこの豊かな土地で狩猟を楽しむために王侯貴族たちがこぞって優雅な城を建てた。 

 

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シャンボール城

 

広大なソローニュの森のはずれにあり 

1519年 国王フランソワ1世が狩猟用の館として建設をはじめ、以後、数十年にわたって増改築が繰り返され、

1658年ルイ14世によって完成 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 シュノンソー城

 

 シェール川をまたがるように建てられ、広大な庭園の中に気品を漂わせてたたずむ白い城館。

 フランソワ1世の息子、アンリ2世は、20歳年上の恋人、ディアーヌ・ド・ポワティエに城を贈呈した。

 法律上、王室の財産を相続する権利を持たないディアーヌに、王室所蔵品であるシュノンソー城を与え、

 その改装のために国税の一部を捻出したのだった。

 1559年、馬上槍試合でアンリ2世が急逝すると、王妃カトリーヌ・ド・メディシスが摂政となり、

 ディアーヌ・ド・ポワティエから城を取り上げた。

 その後も城の持ち主は変転するが、なぜか女性城主が続き、

 シュノンソー城は女性城主たちの愛憎を秘めた

 代々女性が城主であったため、「6人の奥方の城」の別名がある。

 

 

 

 

 ディアーヌの庭

 

 

 

 

 

ディアーヌ・ド・ポワティエ 

 

国王フランソワT世が亡くなるまで寵愛を受けた知性と美貌の持ち主で当時王子であったアンリUはカトリーヌと結婚し、

後に国王となってもディア-ヌに公爵夫人の地位を与え、シュノンソー城を贈りました。

聡明なミストレス ディアーヌの財産管理は模範的で城域内の管理とイタリア ルネサンス様式が受け継がれた庭園は

当時大変モダンで洗練された幾何学模様の静の庭としてもてはやされました。

20歳年上であったディアーヌの美貌はますます磨かれアンリ2世が亡くなるまで寵愛を受けました。

亡き後、城を追われカトリーヌが提供したショウモン城に住むことなく、

アンリ2世に贈られたノルマンディー地方のアネ城で余生を過ごし、生涯を閉じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意外にこじんまりとした厨房だった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サン・マロ

サン・マロは、誰の命令にも服さない、凶暴な海賊の根城として悪名高くなった。

1590年から4年間、サン・マロは、「フランス人でもなく、ブルターニュ人でもなく、サン=マロ人だ」というモットーを掲げて、

独立共和国であるとの宣言さえした。

サン・マロの海賊・私掠船「コルセール」は、英仏海峡を通るイギリス船に通行料を課しただけではなく、

さらに広い範囲から富を持ち帰った 

日の出 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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