韓国旅行紀2011

(2011年03月30日~04月02日)

関空13時35分の大韓航空(ke0724)で

ソウル/仁川空港に15時25分に到着・・

今回は気楽な女3人旅でございます~。

 

大韓航空の機内食は今一つと聞いていましたがなるほど・・。

噂に聞くとても広い大きな仁川空港につくと 早速いつもながらのソウル市内のロッテの免税店へ

 

 

夕食はホテルの外で「プルコギ」・・ 

ジンギスカン鍋に似たプルコギ鍋で甘辛いタレに漬け込んだ肉を焼く 

サンチュで包んでたべてみたかったなぁ~。 

2003年のイタリア旅行で知り合った とても気の合う遊び友達です。 

今回は泊まるだけのホテルなので一寸こだわり「シェラトン・グランデ・ウォーカーヒル」に・・ 

免税店・劇場付きでベットも良いのになぜかトイレのお水がなかなか止まらない 

帰る日までコツを掴む事が出来ず四苦八苦・・ 

 

 

3月31日(晴れ) 

 

水原の華城[スウォンファソン]

 

今(6月20日)DVDで 正祖大王(イ・サン)を見ているのでとても気になり

韓国の旅をアップするにあたり 検索してみた

水原の華城 築城の目的は父・思悼世子(サドセジャ)の陵を移すことと

都を移すことにあったと言われています。

完成直後に正祖大王が亡くなったため都の移転は中止となったとのこと。

もしも、もう少し正祖大王が長生きしていると

今とは違った水原の風景があったかもしれない。

華城は、1796年、李氏朝鮮の第22代国王である正祖(在位1776〜1800年)が、

行宮(天皇が外出する行幸の際、旅先に設けた仮宮)として建てたもの。

父の思悼世子の祭礼を催すため、

父の墓を訪れる際に泊まれるよう造ったとされているが、

正祖は上王に退いた後、ここに居を移す計画だったことから、

単なる行宮以上の意味を持つ場所であったことがうかがえる。

華城は、全盛期の朝鮮王朝の文化や技術の粋を集めた傑作といっていい。

当時の副総理が直接工事を指揮し、特にその城壁には、

実学者の丁若(チョンヤギョン)(DVDにもでてきたわぁ~実在したんだぁ~)が

考案した「挙重機」が使用されるなど高度な技術が投入された。

城壁の上には、体を隠して敵を監視しながら攻撃できるよう、

いくつもの銃穴が空けられた胸壁が備えられ、

城内には北に長安門、南に八達門、東に蒼龍門、西に華西門と、

東西南北に城門が作られた。

7つのアーチ型水門の上には華虹門という楼閣も建てられている。

工事は、1794年1月から1796年9月までの32ヶ月(実質28ヶ月)、

70万人以上が動員され、体系的かつ計画的に行なわれた。

もともとの華城の住民は転居させ、

城の外郭に貯水池を作り、農地を造成、

完成後には王室の親衛部隊兵5000人を配置したとされる。

予算、人員ともに、当時としては破格の超大型国策事業。

正祖は、ここに新都市の建設を試みていたのである。

▽保存されていた工事報告書をもとに180年後に復元

しかし、正祖は完成4年後の1800年に急逝、

計画都市として栄えるはずだった華城はその後、

歴史の舞台から姿を消し、朝鮮戦争の動乱などでほとんどが破壊されてしまう。

その華城の復元を可能にしたのが、工事報告書「華城城役儀軌」だ。

城壁の設計、建物の規格、資材の入手先や用途など、

華城の建設に関するすべてが絵付きで記録されており、

韓国政府は1975年、この資料に従い、城郭復元事業にとりかかる。

そして、1979年までに八達門から東南角楼までの491メートル区間を除く部分を復元。

城郭も、華城城役儀軌に従って入手した土で焼いた煉瓦を積み上げ、忠実に再現した。

工事報告書によってかつての文化財が復元された例は、

世界でも稀である。華城は、

1997年、ソウル市の昌徳宮とともにユネスコ世界文化遺産に登録されたが、

登録理由のひとつは、この復元のプロセスにあるとのこと。

 

 

 

こんなに広い所なのに50分では到底回れず、次回はゆっくりお越しくださいかなぁ~。 

 

南大門市場(ナンデムンシジャン )  

お決まりの免税店からあとは 別行動・・  

600年の歴史を誇るソウル最古の市場、

南大門市場(ナンデムンシジャン)!東大門市場(トンデムンシジャン)

こちらはキムチや海苔、高麗人参、マツタケなどの韓国食材、

そしてメガネ、革製品、アクセサリー、時計、子供服、

お土産、伝統モノなど!食材を中心になんでもそろってる何でも市場!

このおばさんの靴下は とても丈夫で安いとのことで 

和歌山の彼女は大きな袋にどっさりと買い込みました。

私ももちろん買ったわよ~。

一寸強面の鞄屋さんへ・・店主だけうまいこと顔がぼけてるわぁ~。

 

 

小腹がすいてきたので「ブルコギ・韓国巻きずし」を食べてみました。  

 

 

うわぁ~感激!!。仁川空港でも見かけましたが

南大門市場も「東日本大震災復興支援活動」をしてくださっています。 

大きな募金箱がいくつも並んでいました。 

 

 

4月01日(晴れ) 

 

 

仁政殿(インジョンジョン)

昌徳宮の正殿。国家の重要な儀式はここで行われていた。

最初は1405年に建てられたが、壬辰倭乱で焼失、

1610年に再建、1803年に再び焼失、そして1804年に再々建された。

品階石(プムギェソク)

儀式などで臣下が整列する際、官位ごとに立つ位置が決まっていた。

仁政殿の内部

中央に見えるのが玉座で、その後方には「日月五峯図(イルォルオボンド)」の屏風が見える。

太陽(赤い丸)と月(白い丸)はそれぞれ王と王妃を表しており、

さらに陰と陽の調和も象徴している。

朝鮮時代の王の背後には常にこの図が置かれていたといわれ、

王が出掛けるときは必ずこの図を持って行ったそうだ。

現在の1万ウォン紙幤も、世宗大王の背後にこの図が描かれている。

 

 

 

「宣政殿(ソンジョンジョン)」

王の公式な執務室。王と臣下が議論をしたり、

儒生の試験会場や宴会の場でもあったと言われ、

この宣政殿には、貴重で費用がかかる青い瓦が用いられています。

宣政殿は、韓国で唯一の青い瓦で造られた宮殿であるとのこと。

北村韓屋村

その昔この辺り一帯の住民は文官や武官、

または両班(ヤンバン)という上流階級がほとんどでした。

風水的に良い位置にあるということで、

古くから政治、行政、文化の中心地であった北村は、

今でも韓屋(ハノク)という伝統建築でその当時の面影をはっきりと残しています。

この四角い部分は床暖房のオンドルだとか・・。

昌徳宮にもオンドルが使われていたと聞きましたが「イ・サン」や「チャングム」では

とても寒そうなのに、宮中の下働きがオンドルの槇をくべるシーンはまだ見ていません。

 

奥に見える建物が大統領府「青瓦台(チョンワデ)」

韓国の大統領が住み、執務を行う。 

 

 

こんな機会はめったにないので大人だって乗らないとねぇ~。 

 

観光客向けに騎馬隊のパレード等がおこなわれていました。 

今回は写真をあまり撮らなかったが、 

ミョンドンでは色々と買い物をし、焼き肉を食べ・歩き疲れて足裏マッサージに・・と、

添乗員さんに尋ね楽しい自由行動ができました。 

ミョンドンは楽しいわぁ~。 

一年に一度は、必ず三人で韓国へ買いものに行こうと話がまとまり

次回は私が幹事とか~楽しみです。